開催情報
【作家】パヴェウ・アルトハメル、石橋義正、オル太、アルトゥル・ジミェフスキ、丹羽良徳、ミロスワフ・バウカ、松井智惠、ヨアンナ・ライコフスカ
【期間】2015年10月10日(土)- 11月15日(日)
【料金】無料
http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20151010_id=7319#ja
会場
会場名:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
webサイト:http://www.kcua.ac.jp/gallery/
アクセス:〒604-0052 京都市中京区油小路通御池押油小路町238-1
(堀川御池ギャラリー内)
電話番号:075-253-1509
開館時間:11:00〜19:00(入館は18:45まで)
休館日等:月曜日 ただし7/20(月・祝)は開館、翌7/21(火)は閉館
概要
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでは、演劇のみならず奇才の美術家でもあったポーランドの異才タデウシュ・カントルの生誕100周年を迎えるにあたり、彼の偉業を演劇・美術の双方からのアプローチで回顧する記念事業「死の劇場-カントルへのオマージュ」を開催します。
カントルは第一次世界大戦の最中に生まれ、第二次世界大戦中から芸術家としての活動を開始、早くから国際的に名声を確立しました。特にカントルの作品に見られる高い象徴性、死の表象、日常性への下降とその逆説的な意味の転換、時にユーモラスに、時に諧謔的に社会を挑発し、公共空間へと挑む手法がポーランドのみならず世界的な美術や演劇活動に与えた影響は測りしれません。日本との関わりも深く、1982年と1990年の二度にわたって来日公演の際、日本の観衆、特に演劇界に多大な衝撃を与えました。また没後1994年から翌年にかけてセゾン美術館と伊丹市立美術館で彼の美術作品に焦点を当てた大規模な回顧展「タデウシュ・カントル 我が芸術=旅=我が人生」も開催されています。 本展では、20世紀を代表するポーランドの芸術家、タデウシュ・カントルの生誕100周年を迎えるにあたり、彼の偉業を演劇・美術の双方からのアプローチで回顧します。カントルの写真、日本に残るドローイング作品の展示や上演記録映像の上映会、関連シンポジウムなどによってカントルの全体像を示し、またポーランドと日本より7名1組を迎えて作品展示やパフォーマンス等の試みを通じ、カントルの受容とこれからの未来へ向けた現代的継承の豊かな可能性を示します。
タデウシュ・カントル(Tadeusz KANTOR)
1915年、南ポーランド、ヴィエロポーレ・スクジンスキェ生まれ、1990年ポーランド、クラクフにて没。前衛芸術家、画家、素描家、芸術理論家、舞台芸術家、監督、ハプニング作者、20世紀演劇の優れた改革者、ポーランド美術界で最も重要な作家の一人。1934年から1939年にかけてクラクフ美術アカデミーで学ぶ。ドイツによる占領期に実験的な地下劇場を設立、クラクフの前衛運動の中心となった。1955年に、戦前の芸術家による劇団クリコを継承して、仲間と共にクリコ2劇団を結成。アンフォルメル演劇(1961)、ゼロ演劇(1963)、ハプニング演劇(1967)、不可能の演劇(1973)と、次々と舞台活動を展開する。 カントルはポーランドを拠点としつつもしばしば外国に出かけ、同時代の世界の芸術の傾向、つまり、アンフォルメル、ダダ、概念芸術などの影響を受けつつ作品を制作した。1960年代の始めから梱包(アンバラージュ)に専念し、1965年以降、フォクサル画廊(ワルシャワ)と関わりつつハプニングを実施(例えば「パノラマ的海のハプニング」1967、「レンブラントの解剖学講義」1968、など)。1975年には死の演劇宣言を発表すると共に、伝説的演劇『死の教室』を実現。続いて『ヴィエロポーレ。ヴィエロポーレ』(1980)、『くたばれ!芸術家』(1985)、『私は二度とここには戻らない』(1988)を上演。この時期、並行して絵画制作も続ける。1990年に最後の演劇『今日は私の誕生日』を準備したが、クリコ2によって演じられたのはカントルの没後であった。