開催情報
【作家】守屋友樹
【期間】2021年10月30日[土]・31日[日]・11月1日[月]・6日[土]・7日[日]・8日[月]
【開館時間】12:00〜17:00
【休館日等】-
【料金】入場無料
https://www.galleryparc.com/pages/exhibition/ex_2021/2021_1030_moriyayuki.html
会場
会場名:オーエヤマ・アートサイト
webサイト:-
アクセス:〒629-0141 京都府南丹市八木町八木鹿草71「八木酒造」内
電話番号:-
概要
ギャラリー・パルクは、2020年より主催する『すべ としるべ』プロジェクトとして、京都府南丹市八木町に残る築400年を超える旧酒造を会場に、「田中秀介:馴れ初め丁場 / Begining of love」と「守屋友樹:蛇が歩く音 / walk with serpent」を開催いたします。
『すべ としるべ』プロジェクトは、変容していくこれからの社会状況の中で、「展覧会」という機会をよりタフに起動させていくための方法の開発・獲得を目的に取り組むプロジェクトで、昨年に続き2回目の開催となるものです。>すべとしるべ 2020
「展覧会」とは、アーティストが表現(すべ)を社会に向けてひらく標(しるべ)であり、また鑑賞者は作品と空間・時間をともにするなかで、それぞれにとっての方法(すべ)を発見する「体験」を得る機会・場であるといえます。
しかし、表現と社会、表現と鑑賞者が直接的に触れ、接することによる体験を必然とする展覧会という形式は、それゆえに今日の社会状況の影響を受けやすく、また鑑賞者からのアクセシビリティも低下せざるを得ない状況にあるといえます。
本プロジェクトは京都府南丹市八木町に残る築400年を超える旧酒造を会場に、田中秀介(美術家)と守屋友樹(写真家)による、それぞれ6日間の公開展示と、この展示に取材した麥生田兵吾(写真家・映像作家)と今村達紀(振付家・ダンサー)による映像、野口卓海(美術批評・詩人)の編集・制作による記録物とにより構成されます。こうして従来の「展覧会」と「その記録」という不可逆的な補完関係に切れ目を入れることで、ひとつの展覧会を起点に、映像・記録のそれぞれが自立した眼差しから作品や表現を発見・解釈し、それぞれの媒体の特性をもって「つくる・のこす」ことに取り組みます。
守屋友樹は見知らぬ土地をフィールドワークする中で撮影した写真や映像、音を中心に、オブジェなどを用いたインスタレーションを会場に持ち込みます。さまざまな土地に残る民話や寓話などから、とりわけ「水」にまつわる「語り」を観察し、そこから取り出した要素を作品として展開する守屋の試みもまた、作品と空間が鑑賞者を媒介に関わるなかで成立するものといえます。酒づくりの場として、またすぐ裏に大堰川が流れる酒蔵の空間において、鑑賞者はそこに何を見つけ、何を見つめ、何を語るでしょうか。
会場での公開は2021年 10月30日[土]・31日[日]・11月1日[月]・6日[土]・7日[日]・8日[月]の6日間。映像と記録物は本年12月に公開予定です。
プロジェクト『すべ としるべ』では、展覧会を異なる視点、異なるメディアによる自立した記録を「つくる・のこす」ことで、それらが読み出される時に「そこ」に新たな体験を「おこす」ことを目指して取り組みます。展覧会という体験が、記録によってより広く、より遠くに作品や表現を「ひらく」ことの可能性に目を向け、表現がこれからの社会に対応しながら、より強く起動するための(すべ)を編み出していきます。是非ご注目ください。
「蛇が歩く音」守屋友樹
さまざまな土地でフィールドワークを行なっていると、そこで出会った人たちから話を聞くことがある。その土地に関する昔話や言伝え、全く関係の無い世間話と雑多なものだ。なかでも雨や川、湖などの水と深く関わる物語が多くあった。土砂崩れや洪水がよく起こる地域では災害として直接語られるのではなく、蛇や龍として表されている。自然を擬人化するのは、言葉のうちに精神と肉体を与える作業ではないだろうか。同時に、土地の歴史や性質を語り継ぐ手立てとしてでもあり、個人の感受を残すことでもある。僕は、蛇の擬人化や象徴から目に映る自然を見返すことを行なう。
Statement
僕は、自然と文化における表徴の変遷などをリサーチやフィールドワークをし、その際に撮影した写真や 映像、オブジェを用いたインスタレーション作品を制作しています。見知らぬ土地に訪れ、そこで起きた話 や民話のような話を住民から聞くことが増えてきた。語りというものが、土地の歴史や性質を語り継ぐ手立 てとしてでもあり、個人の感受を残すことでもあるように思うようになった。語り継ぐことには、歴史性を 帯びつつも他者の感受を受け入れて内面化していく作業とも言えるだろう。僕が出会った人から聞いた話の なかで、あらすじのみであったり、欠落していて終わりが無いものなどが印象に残っている。不完全な話と なってしまっても生々しさを感じさせるし、感情の揺らぎが見えてしまう。僕は、語りを通して目の前にあ る時間や空間をありのままに扱うことを試みたいと思うようになった。
守屋 友樹