開催情報
【作家】大八木 夏生、松田 啓佑
【期間】2022年1月7日(金)- 1月30日(日)
【時間】金・土・日 12:00-18:00 開廊 (アポイントメント承ります)
【料金】無料
会場
会場名:eN arts
webサイト:http://www.en-arts.com/
アクセス:〒605-0073 京都市東山区祇園町北側円山公園内八坂神社北側
電話番号:075-525-2355
概要
Compression: Natsuki Oyagi + Keisuke Matsuda
見えるものを見えるままに描くのでも、見えないものを見えるようにするのでもない。また、何かをあらわすという目的自体から逃れ、線や色それそのものを提示するのともちがう。再現とも、表現とも、現前とも異質な描き。かつてふと目にとまった何か、おのれの身体をさっと通りすぎ、漠然とした引っかかり、違和感だけを残していった何かに、少しずつ手応えを与えていくその制作は、どこか確認作業然としている。
まずは大八木夏生(1991-)。彼女の仕事は、「ん?」と訝しむことからはじまる。たとえば古びたショウウインドウや、木の棒が突き刺さったフェンスなど、街で見かけた名状しがたい光景との距離感をはかることが主な目的だと言ってよい。ただその制作過程で、違和感は解消されるどころか、むしろ増幅されるだろう。撮った写真を手がかりに、マスキングテープで大まかに区切られていく画面。そこにアクリル絵具を塗り、カッティングシートを貼り、シルクスクリーンを刷っていくが、作業手順は追いがたく、どこが塗られ、どこが貼られ、どこが刷られた部分であるのか、ぱっと見では判然としない。
つづいて松田啓佑(1984-)。「世界全部を絵に変換」してみせたというその作品は、とかく言語化しがたく、作者自身でさえ説明に窮する。事物の姿をはっきりと提示する具象でないことはもちろんだが、事物の余計な要素を省いてすっきりとさせた抽象というわけでもない。書を想起させつつ、しかし記号として結実することのない「止め」や「跳ね」や「払い」のストローク。また、失敗作とつい疑ってみたくなるような、ひしゃげた土塊。彼の手がける絵画と陶芸は、ともに世界の感触を手探りで確認した痕跡、手を動かしながら世界の断片を少しずつ捉えていった結果であると言えるだろう。
大八木も松田も印象を描いている、と一応は言えるだろうか。しかしその印象は希薄で心許なく、モチーフ=動機と呼ぶにはあまりに弱い。だからこそ画家は、圧縮する。なけなしの印象を絞り出すその作業は、過去のおぼろげな記憶を振り返ることともまた異質であろう。自分がなぜ違和感を抱いたのか、そもそも自分は何を見たのかと自問するところから始まる描画。緻密に構築していってもよいし、勢いに任せて手を動かしてもよいが、いずれにせよその作業は半ば闇雲に、手探りで進められるはずだ。
輪郭の定かならぬ形象らしきもの。往々にして混在、併存される複数の場面、時間、事象。提示される画面はことごとく、一義的ないし統一的な解釈を拒絶する。でも心配はいらない。よく分からない対象を、よく分からないままに描いたところで、結局やっぱりよく分からないのだから。それは、得体の知れないこの世界を、得体の知れないものとして捉えようとした結果であると言ってよい。
2021年11月26日
福元崇志 (国立国際美術館)