showcase #5 “偶然を拾う- Serendipity”

Art Picks TOPに戻る Art Picks TOP 前のページに戻る Back
dm_yoko_omote

開催情報

 
【作家】麥生田兵吾 カワトウ 迫 鉄平
【期間】2016年5月6日(金)—5月29日(日)
【開館時間】12:00~18:00 
【休館日等】月曜日〜木曜日休み
【料金】無料

http://en-arts.com/portfolios/showcase-5-%E5%81%B6%E7%84%B6%E3%82%92%E6%8B%BE%E3%81%86-serendipity/
オープニングレセプション:5月6日(金)18:00-20:00

会場

 
会場名:eN arts
webサイト:http://www.en-arts.com/
アクセス:〒605-0073 京都市東山区祇園町北側円山公園内八坂神社北側
電話番号:075-525-2355
開館時間:12:00~18:00 
休館日等:月曜日〜木曜日休み

概要

 
eN arts では、清水穣氏のキュレーションによります、写真に特化したグループ展 “showcase #5 偶然を拾う- Serendipity”を開催いたします。展覧会のタイトルが示す通り、現代若手写真家の「ショーケース」となるこの展覧会は2012年からスタートし、今回でシリーズ五回目となります。“showcase #5”のテーマは「偶然を拾う- Serendipity」です。スナップショットから何をみるのか?どうぞお楽しみください。
2016 showcase #5 “偶然を拾う – Serendipity”
5回目を迎える「showcase」、今回のテーマは、いまさらながら「スナップショット」です。「撮る」側ではなく、撮影された写真を「見る」側から考えるとき、いったい、われわれはスナップショットに何を見るのでしょうか。
写真には被写体と写し方(構図、アングル、色、コントラスト等、要するにエフェクト)がつきものです。しかし、エフェクトに反応し、被写体の文脈や物語(家族の物語、被災地の物語・・・)に反応しているだけでは、写真自体を「見て」いることにはなりません。そこで、写真自体に注意を絞り込むために、被写体やエフェクトに依存しない写真を考えます。何ということもない日常雑景を、何ら特別の技巧もなくごく普通に撮る。スナップショットの問題はここから始まります。それは、被写体と技法のどちらも突出せず、両者のバランスのみにおいて成立する写真ということになるでしょう。このバランスを取るのはもちろん写真家ですが、写真家は両者を単純に天秤に掛けるような存在にはなれません。被写体に対しても、エフェクトに対しても、写真家は必ず何らかの関係におかれ、その影響や束縛を受けるからです。だからこそ、スナップショットは写真家の才能が最も露わになる写真です。それが曝露するものは、じつは撮された人や物の本質ではなく、写真家だからです。
では、スナップ写真を見るとき、われわれはその写真の光景の手前にいたはずの写真家を見ているのでしょうか?いえ、カメラの背後が、写真に写るはずがありません。それどころか、写真の光景の手前にいるのは、まさに今それを見ているわれわれです。つまり写真を「見る」とは、自分の外に出て、写真家に —その視点のみならず、視角や距離感を通じて身体ごと— 重なることに他なりません。が、じつは優れた写真家も同じことを言います。自分の写真を「見る」とは、自分の外に出て「〜〜」に重なることだ、と。「〜〜」には当然、写真家その人自身とは違う何かが入るはずです。つまりスナップ写真を見るとき、われわれは被写体でもエフェクトでも写真家でもなく、写真家その人自身とは違う何か、写真家の非同一性non-identityに出会います。作家が作家自身の外へ出た、そのズレに、重なるのです。
かつて、スナップショットは、日常風景の中に潜在するリアリティを探り出して、それを表現するものでした。今回選んだ3人もまた日常風景を主題としていますが、彼らの表現はもはやそういうものではありません。むしろ日常の中で出会う偶然を拾い、写真にしつづけることによって、世界と自己を同定identifyすることなく表現する、繊細な実験をしているように見えます。スティーグリッツが「スナップショット」という言葉を自作 (A snapshot, Paris (1911年))に用いてから100年以上。2016年のスナップショットは、同一性identificationの外で世界と自己を繋ぐ、不断の実験の姿をとっています。
2016年5月 清水 穣

« Art Picks TOPに戻る « Art Picks TOP
助成: